特集 料理人 高橋 忠之
高橋忠之シェフへのオマージュ
志摩時間 2020年夏号より
1946年、戦後初の国立公園として指定された伊勢志摩地域。当時は賢島に真珠の買い付けのため、海外からも多くのバイヤーが訪れていたこともあり、1951年に客室数25室、純洋式ホテルの志摩観光ホテル(現 ザ クラブ)が開業しました。日本が高度経済成長期に入った1969年には、客室数200室の国内最大級のリゾートホテルとして新館(現 ザ クラシック)が竣工し、2008年には全客室が100㎡以上で全客室がスイートルームのベイスイート(現 ザ ベイスイート)が開業。戦後から現在まで止まることのない時代の流れのなか、志摩観光ホテルは進化を続けてきました。ホテルを代表するフランス料理も歴代料理長によって磨かれ、今なお伝統は守られ革新は続いています。
2021年4月3日、開業70周年を迎える志摩観光ホテルでは「海の幸フランス料理」の誕生から現在、未来へと続くホテルの食の歴史を辿る晩餐会を3回のシリーズで開催します。今号では第5代総料理長 高橋忠之シェフ(令和元年 逝去・享年77歳)へのオマージュとして、第6代総料理長宮崎名誉料理長と、第7代樋口総料理長に高橋シェフの想い出や受け継いできた料理哲学について語ってもらいました。
第5代総料理長 高橋 忠之
海の幸フランス料理「火を通して新鮮、形を変えて自然。」火を使って、あるいは形を変えてより新鮮に、より自然に作り変えることは、素材に対する祈りである。
—著書「美食の歓び」より
16歳で入社後から食材について深く学び、フランス語や英語も独学で勉強。料理長就任後は良質な食材に技術を加えることでさらに素材の新鮮さを感じられる料理を生み出し、「ガストロノミー」の考えを体現してきた。
1958年 志摩観光ホテル入社
1971年 洋食課 料理長に就任
1980年 「海の幸フランス料理」出版
1992年 総料理長就任
1994年 常務取締役総支配人兼総料理長となる
2001年 退任
時代と人の気概が生み出した、今に受け継ぐガストロノミー。
—樋口総料理長は、高橋シェフの料理をどのように捉えていますか。
仕事に向き合う姿勢と、受け継ぐ料理哲学。
—お二人にとって、高橋シェフはどんな存在ですか。
宮崎 高橋シェフには独自の美学がありましたので料理人、サービスに関わらず注意されていました。本も雑誌、新聞と沢山の情報に目を通されるのですが、それがとても読むのが速くて。それから「海を識(し)ることから料理が始まる」と日々送られてくる水産センターの「漁海況速報」をチェックするのを欠かしませんでした。
樋口 ロートレック(フランスの画家・美食家)がお好きでした。芸術にもお詳しくて料理以外の情報や豊富な知識、美学から斬新な発想も生まれる。それが稀代の料理人と称される由縁なのだと思います。
—高橋シェフの創り出す料理をひと言でいうと?
宮崎 「火を通して新鮮、形を変えて自然」。高橋シェフが残したこの言葉に高橋流料理哲学が詰まっていると思います。例えばレシピを公開して「鮑ステーキ」や「伊勢海老クリームスープ」などを作れたとしてもその料理自体には哲学はないんです。よく高橋シェフは味付けなどではなく「なぜ私がこういう料理を作っているのか」という背景にある考えをお話しになりお客様も熱心に耳を傾けておられました。ヨーロッパから来られるお客様から「あなたのボスは哲学者ですね」と言われたこともあります。お客様や料理人を魅了する独自の美学と哲学があり、人間としての魅力に富んだ方でした。
—樋口総料理長は高橋シェフと約10年間一緒に仕事をしたなかで、今の自分と重ねることはありますか。
宮崎 高橋シェフは樋口総料理長のことを「私の言うことを一番聞かない料理人だ」と話していました。それは高橋流の最高の誉め言葉だと思います。
— 樋口総料理長 思い出の一皿 —
— 宮崎名誉料理長 思い出の一皿 —
宮崎 英男 | 第6代総料理長 名誉料理長 宮崎 英男 1968年志摩観光ホテル入社。1994年第6代目料理長、2008年総料理長へ就任。料理八心(志・真・健・美・清・恒・識・技)を大切にし、すべてのバランスが整ってこそお客様に喜んでいただける料理が提供できるという信念でホテルの料理を守り、次世代へつないできた。 |
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志摩観光ホテル 開業70年 記念晩餐会
STORY-1 “海の幸フランス料理”の誕生 故 高橋忠之シェフへのオマージュ
志摩観光ホテル季刊誌「志摩時間」
そんな季節の移ろいとともに、志摩観光ホテル季刊誌「志摩時間」では、地元の文化や豊かな自然などを通じて、伊勢志摩の四季をご紹介しています。