【開業70周年特集対談】
対談:志摩観光ホテル × ミキモト真珠島
自然に抱かれ、ともに生きる
志摩時間 2021年春号より
養殖真珠誕生の地、相島(おじま)にあるミキモト真珠島は真珠養殖を紹介する施設として整備され民間外交の場としての役割を担っていました。戦後の経済成長で伊勢志摩が多くの観光客で賑わう地域となったことから、1951年、国内初の真珠専門博物館や海女の実演などが行われる観光施設として開島し、今でも多くの人々が「真珠のふるさと」として訪れています。同年、志摩観光ホテルも戦後初のリゾートホテルとして風光明媚な英虞湾を望む高台に開業。
伊勢志摩の自然の恩恵を受けながら70年の歴史を歩んできた両社はこの地にどのような未来を描くのでしょうか。御木本真珠島代表取締役社長 松田音壽さんと志摩観光ホテル 総支配人三嶋庸弘が伊勢志摩への想いを語ります。訪れたのは真珠王御木本幸吉が晩年を過ごし、客人をもてなした朝熊閣(あさまかく)。松田社長が幼いころから慣れ親しんでいたというこの場所は、幸吉翁が「愛蔵の光琳の屏風をご覧に入れましょう」と訪れる人々へ自慢したという英虞湾の絶景が広がります。(※ミキモト多徳養殖場は、一般公開をしていません。)
世代を超えて愛されるもの。
専門知識を備えるスタッフがお客様がご納得、ご満足いく御品選びをお手伝い
三嶋 私もお客様と直接関わる営業を長年経験しましたのでお客様とのご縁の大切さは特に感じますね。当ホテルへご来館のお客様は人生の節目、大切な方とのかけがえのない時間を過ごすためという方が多くいらっしゃいます。お客様の「想い」「ご期待」にお応えできるようスタッフには「笑顔」「挨拶」「身だしなみ」そして「気配り」を大切にするよう伝えています。誰にでもできるような何気ない事ではありますが、サービス、おもてなしの基本を身につけることでどの世代のお客様にも心地良いおもてなしを提供できると考えています。
松田 それが「賢島ホスピタリティ」と言われる所以ですね。私も志摩観光ホテルにあるミキモト店で5年程接客をしておりました。確かに志摩観光ホテルは何世代にも渡りお越しいただくお客様が多いという印象が残っています。
ホテルには開業当時からミキモトショップが存在
特別な場所にあるという使命を感じて。
松田 幸吉翁はこの伊勢志摩の自然をこよなく愛していました。この地を国立公園にしたいと願い、自然の保護と環境の整備に私財を惜しみなく使い、戦後初の伊勢志摩国立公園指定に尽力しました。幸吉翁の愛した伊勢志摩の風景を変わらぬ姿で未来へと繋いでいくことが、その自然の恵みである真珠を扱う私共の使命であると思っています。
伊勢志摩の未来へ描くものとは。
三嶋 世界だけではなく、地域へ目を向けながら人材を含め未来を創るというお考えは素晴らしいですね。これからは「地域の時代」とも言われています。私は大阪、京都と副総支配人・総支配人と務め、伊勢志摩に参りました。ここで感じることは「天の時、地の利、人の和」。時を見定め、地の利を生かす。しかし最後はやはり心と心が通い合う「人」なのですね。
三嶋 サービスであっても商品であってもそこに「想い」を乗せてお届けしていくことが何より大切なのだと感じます。志摩観光ホテルの歴史も、先人が作り上げ、そして多くのお客様に育てていただいたものです。私たちはその想いを受け継ぎ、紡いできたご縁に感謝しながら伊勢志摩という自然とともに生きるものとして、次の100年へと歩み続けてまいりましょう。
松田 音壽(まつだ おとひさ)
株式会社御木本真珠島 代表取締役社長。1956年生まれ。1979年株式会社御木本真珠島入社、真珠購買事業、営業部を経験した後、1995年取締役、1997年に常務取締役に就任し海外誘客を主導する。2008年より現職。鳥羽商工会議所会頭ほか地域経済の発展にも尽力。
三嶋 庸弘(みしま つねひろ)
株式会社近鉄・都ホテルズ 常務取締役 志摩観光ホテル総支配人・志摩エリア統括支配人。1951年生まれ。1974年入社。宴会・宿泊セールスを主に担当。新・都ホテル(京都)総支配人、ウェスティン都ホテル京都の総支配人を歴任後、2016年志摩観光ホテル総支配人就任。現在は志摩エリアに展開する3ホテルを統括している。
志摩観光ホテル季刊誌「志摩時間」
そんな季節の移ろいとともに、志摩観光ホテル季刊誌「志摩時間」では、地元の文化や豊かな自然などを通じて、伊勢志摩の四季をご紹介しています。